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東京高等裁判所 昭和63年(ネ)2001号 判決

控訴人・反訴原告(以下「控訴人」という。) 甲川花子

右訴訟代理人弁護士 森文治

同 濱勝之

同 小林俊行

被控訴人・反訴被告(以下「被控訴人」という。) 甲川三郎

右訴訟代理人弁護士 関孝友

主文

一  原判決主文第二項を取り消す。

二  被控訴人の控訴人に対する慰謝料に関する請求を棄却する。

三  控訴人のその余の控訴を棄却する。

四  控訴人の反訴請求に基づき、控訴人と被控訴人とを離婚する。

五  控訴人に対し、別紙物件目録(一)記載の建物に対する被控訴人の持分のうち四八五分の八八を、同(二)記載の土地に対する被控訴人の持分のうち一〇万分の八九五を、それぞれ分与する。

六  被控訴人は、控訴人に対し、別紙物件目録(一)記載の建物の持分四八五分の八八及び同(二)記載の土地の持分一〇万分の八九五について、それぞれ前項の財産分与を原因とする持分一部移転登記手続をせよ。

七  被控訴人は、控訴人に対し、金八〇〇万円及びこれに対するこの判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

八  訴訟費用は、第一、二審を通じて五分し、その二を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴について

1  控訴人

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

本件控訴を却下する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

二  反訴について

1  控訴人

控訴人と被控訴人とを離婚する。

被控訴人は、控訴人に対し、相当価額の財産を分与せよ。

訴訟費用は被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

控訴人の反訴を却下する。

(予備的)

控訴人の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は控訴人の負担とする。

第二控訴の適否についての当事者の主張

一  控訴人の主張

1  原判決は、昭和六二年一二月二三日に言い渡され、その正本が同月二四日に公示送達の方法によって控訴人に送達されたことにより、昭和六三年一月八日の経過をもって形式上確定したこととされている。ところで、原審の訴訟手続は、控訴人の住居所が不明であるとして、控訴人に対する送達がすべて公示送達の方法によって行われた。しかし、公示送達許可の裁判をするに当たってなされた、控訴人の所在についての調査は、極めて不十分なものであった。そして、控訴人は、当時、本件訴訟の提起、審理及び原判決の言渡しを全く知ることができなかった。

2  控訴人は、被控訴人が横浜家庭裁判所に申し立てた夫婦関係調整の調停事件が進行していた昭和六一年八月二三日、被控訴人から頭部、眼部等を殴打される暴行傷害を受け、同年一二月三一日、それまで居住していた自宅を出たが、その原因は、右暴行のほか、被控訴人の控訴人に対する日ごろの常軌を逸した脅迫的言動から、このまま被控訴人と同居を続けていたのでは、控訴人の生命身体に危険が及ぶことが危ぶまれたからであり、家を出てからしばらくは居場所を転々としていた。被控訴人に行く先に告げなかったのは、このようなやむを得ない事情によるものであった。

昭和六二年一月一六日に右調停事件が調停の不成立により終了した。控訴人は、その後被控訴人から無断で離婚届を提出されることを恐れて、当時の本籍地の群馬県桐生市長あてに離婚届不受理の申立てをした。そして、右不受理の取扱いを継続してもらうため、昭和六三年二月五日に電話で連絡したところ、既に戸籍上控訴人が被控訴人との裁判により離婚したことになっている旨戸籍吏員から説明を受けた。そこで、控訴人は、翌六日、横浜地方裁判所に赴き、原判決言渡しの事実とその内容を知ることができた。

3  控訴人は、調停が不成立となった後、被控訴人が離婚訴訟を提起するであろうことを全く予想することができなかった。

その住所を被控訴人に秘密としたのは、被控訴人から逃れて安息の場を得たかったからであり、また、控訴人が家を出た際に持って出た控訴人名義と長男太郎名義の興銀リッキーワイドと長銀リッチョーワイドの各債券を換金したので、その現金を被控訴人に取り戻されることを心配したからであって、家を出た前後の控訴人の置かれていた諸状況を前提とすると、それは誠にやむを得ない対応というべきであり、このような控訴人の対応は、そのすべてが被控訴人の非人間的な行状に由来するものであった。なお、控訴人は、家を出て間もない昭和六二年一月一一日から翌一二日にかけて、控訴人の兄高木宏、高木淳を介して被控訴人に対し、控訴人との同居を認めるよう申し入れたが、被控訴人は、右両名に対し、「暴力行為を自制する自信がない。」と言って、控訴人との同居を拒絶した。

4  控訴人は、昭和六二年七月二四日、住民登録のある横浜市神奈川区から東京都品川区に住民登録を移し、当時の本籍地である群馬県桐生市の戸籍の附票にも、その旨が記載された。

5  他方、被控訴人が公示送達の許可を得るため原審裁判所に提出した控訴人の所在不明を証明する資料は、昭和六二年七月二一日に交付を受けた住民票の写し(この書面は、公示送達許可の裁判の一箇月も前に交付を受けた古いものである。)、被控訴人作成の上申書及び親族、知人に対する郵便はがきによる照会だけであった。しかも、この照会は、控訴人の住所を照会する理由を相手方に明らかにしていないばかりか、控訴人の居場所を知っているか、あるいはこれを知り得る者すなわち小林俊行弁護士、控訴人の友人で被控訴人も知っている阿久津慶子、鈴木英子、控訴人の兄高木宏、高木淳らを殊更除外して行ったものであった。このように、公示送達の要件事実の立証は、甚だずさんであり、原審裁判所は、他に職権による調査をしなかった。現に戸籍の附票には控訴人の住所が記載されていたが、これの取り寄せはされなかった。

さらに、本訴係属中の昭和六二年一〇月一〇日、群馬県高崎市内のホテルで控訴人の妹吉沢和子の長男の結婚式が行われた際、被控訴人は、右結婚式に出席して、控訴人の兄高木宏、高木淳に会ったが、右両名に対し、控訴人の居場所を問いたださなかったばかりか、離婚訴訟が係属していることについて何も告げなかった。

これらの事実からすると、被控訴人の公示送達の方法による離婚訴訟の提起、遂行及び離婚判決の取得は、公示送達制度を濫用したものであり、「追い出し離婚」にも比肩される悪質なものである。そして、原審裁判所の公示送達許可の裁判には、当然無効と認めてもよいほどの重大明白な審理不尽の違法がある。

6  以上のように、控訴人は、その責めに帰することのできない事由によって原判決の言渡しを知らなかったところ、本件控訴は、控訴人が原判決の言渡しを知った日である昭和六三年二月六日から一週間内である同月一〇日に提起したものであるから適法である。

二  被控訴人の主張

1  原審の訴訟手続における控訴人に対する公示送達は、すべて有効であり、本件控訴は、控訴人が控訴期間経過後に提起した不適法なものであるから、その却下を求める。

2  被控訴人は、控訴人が自己の居場所を隠し続けたため、いろいろ手段を尽くしても控訴人の所在を知ることができず、やむを得ず控訴人に対する公示送達の申立てをしたのであって、これを非難する控訴人の主張は全部争う。

ちなみに、控訴人は、戸籍の附票を取り寄せていないと主張するが、被控訴人が昭和六二年七月二一日に住民票の写しの交付を受けたところ、控訴人には「異動」の記載はなかった。住民基本台帳法一九条によれば、住民票に異動がない場合には、附票の記載もまた修正されないことが明らかであるから、この時期に戸籍の附票を取り寄せる必要性は全くなかった。控訴人が品川区長に転入の届出をした日は昭和六二年七月二八日であったから、この異動が本籍地の市町村長に通知されたのは、同日以降であり、被控訴人が控訴人の所在調査を終了した同月二〇日ころには、戸籍の附票の記載から控訴人の住所を知ることは不可能であった。また、横浜市の住民票によれば、控訴人の住民登録は、同月二四日付けで「職権消除」となったが、その転出先が記載されていない。したがって、被控訴人がこの時期に改めて住民票の写しの交付を受けたとしても、控訴人の住所を知ることはできなかった。

3  控訴人は、控訴期間を遵守することができなかったことについて、その責めに帰すべき事由がなかった旨主張する。

しかし、次の各事情からみて、控訴人が公示送達の方法による裁判書類の送達を知ることができなかったのは、控訴人の責めに帰せられる事由によるものであった。

(一) 控訴人は、昭和六一年一二月三一日、被控訴人及び長男太郎に無断で家を出たが、その際、落ち着き先や連絡先を全く知らせず、外出か単なる外泊かも不明の状況のままで音信を絶ってしまった。

(二) 昭和六二年一月一六日に横浜家庭裁判所で調停期日が開かれたが、この日は調停が不成立となった日であり、この時点では、控訴人が家を出たことは確実となっていたにもかかわらず、控訴人は、同裁判所に住所変更の届出をせず、故意に連絡を不能にした。

(三) 控訴人が転出の届出をしなかったため、横浜市の住民登録が職権で消除された。

(四) 被控訴人が原審裁判所に提出した住民票の写しは、控訴人が家を出てから半年以上も経過した後に交付を受けたものであり、その時点でも住民票に「異動」が記載されていなかったのであるから、被控訴人には、更に住民票の写しの交付を受けるべき理由はなかった。

(五) 控訴人は、被控訴人から無断で離婚届を提出されることを恐れて、離婚届不受理の申立てをしていたというのであり、昭和六二年一月一六日には、被控訴人が申し立てた離婚を求める調停が不成立となり、離婚訴訟を提起するための要件が具備されたのであるから、控訴人が離婚訴訟の提起を予想することは十分可能であった。そして、控訴人には弁護士である調停代理人が付いており、離婚訴訟提起の有無は、一箇月に一度横浜地方裁判所の民事事件の受付簿を見れば直ちに分かることであるから、控訴人が本件訴訟の提起を知らないで判決の言渡しを受けるようなことは、容易に回避することができたのである。

4  なお、控訴人は、反訴として原判決の結論と同一である被控訴人との離婚を求めているのであるから、その部分について再度控訴審で審理する理由に乏しい。もっとも、原判決には、離婚のほか、慰謝料請求を認容する部分もあるが、これは金銭上のことであって、他の財産上の事件と殊更区別する理由はなく、身分上の事件であるがゆえに特別の考慮を必要とするものではない。

第三本訴についての当事者の主張

一  本訴請求原因

1  被控訴人と控訴人とは、昭和三〇年一一月七日に婚姻の届出をした夫婦である。

2  被控訴人は、昭和四六年ころ、痛風に罹患し、共済連虎の門病院で治療を受けたが、その際、投薬を受けた治療薬の副作用で多発性筋炎を発症し、手足の筋肉に激痛を感ずるために一時歩行が困難となり、昭和四七年から昭和五三年にかけて入退院を繰り返し、その間、筋肉の痛みを抑える薬物の服用による内臓の疾患も生じ、更に糖尿病と喘息が併発したため、食餌療法を続けながら会社勤務を継続し、毎月通院して治療を受けている。

3  被控訴人の勤務先は、浜銀ファイナンス株式会社であるが、昭和六〇年六月一四日に被控訴人が満五五歳に達したため、社内規定によって、毎月の収入が従来の約四〇万円から約二〇万円に減額された。

4  昭和六〇年八月一一日、知人を交えて自宅で食事をしながら雑談をしていた際、控訴人は、突然被控訴人に対し、「甲斐性のない役立たずの亭主」と罵った。被控訴人は、驚いて、「何を言う。もう一遍言ってみなさい。」と言ったところ、控訴人は、「何回でも言うわよ。甲斐性のない役立たず。」と再度罵った。被控訴人は、長年病を押して働き続け、蓄えも幾らかできたし、自宅も購入したという自負もあり、結婚してから一度も働きに出たことがない控訴人から、しかも他人のいる前で侮辱されたので、精神的に大きな打撃を受け、思わず「出て行け。」と怒鳴ったが、同席していた知人になだめられ、ようやく我慢したことがあった。

このようなことがあってから、控訴人は、度々離婚話を持ち出し、「私が一人になれば、面倒を見てくれる男性がいる。」などと言ったこともあった。しかし、被控訴人は、当時長男の太郎が大学受験中だったことも考え、その都度、控訴人を説得して、離婚を思いとどまらせていた。

5  控訴人は、従来から口癖のように、「私は健康なだけが取り柄だから、いつでもあなたと交替して働きに出る。」と言っていた。そして、昭和六一年五月一日ころに口論した際、被控訴人が、「いつでも交替して働きに出るなどといつも言っている癖に、おれは病気なのに出向してまでもまだ働いているが、お前は一度も働きに出たことがないじゃないか。」と言ったところ、控訴人は、横浜駅西口にあるレストランの皿洗いのパートで二週間ほど働いたが、働きに出たことを錦の御旗のようにして、家事は怠ける上、毎日疲れた、疲れたの連発で、家族の方が嫌になり、パートを辞めさせたことがあった。

6  昭和六一年五月二四日の夕食後、控訴人は、離婚届の用紙を取り出し、右用紙に被控訴人の署名を求めた。被控訴人は、これまでの経過から離婚するほかないかなと考えていたので、やむを得ないと思い、右用紙に署名をしたところ、控訴人は、「現在居住している家屋(マンション)を直ちに売却して、その代金と預貯金及び被控訴人の退職金まで含めた金額の半額を控訴人に渡せ。」と言い出し、被控訴人が、「現在住んでいるので家屋を売るわけにはいかない。」と言うと、「それでは調停の申立てをするしかないから、これを出してほしい。」と言って、調停申立書用紙を差し出した。そこで、被控訴人は、同年六月六日、横浜家庭裁判所に離婚を求める調停の申立てをした。

7  同年八月二日の朝、被控訴人が洗面所に行くと、控訴人が書いた「同居別居」との張り紙がしてあり、以後、控訴人は、被控訴人に対してはもちろん、太郎に対しても、食事の支度、洗濯その他一切の家事をしなくなった。

そのため、被控訴人は、病気と闘いながら会社勤務を継続し、その傍ら太郎と協力して、食事の支度や洗濯、掃除などをしてきた。他方、控訴人は、自分の部屋に閉じこもり、食事の際には、部屋を出て、自分の分だけ料理をして、これみよがしに一人で食事をしていた。

8  同年一二月三一日、控訴人は、かねてから進めていた準備ができたらしく、被控訴人が病身であること、被控訴人の手元に十分な現金が無いことを知りながら、自己名義と太郎名義の債券を解約して、約一五〇〇万円の現金を持ち、しかも被控訴人名義の預金を下ろせないようにして、行く先を明らかにしないまま家を出た。そして、控訴人は、その後も居住先を被控訴人に知らせなかった。

9  前記調停は、控訴人の財産分与についての要求が過大であったために話が進展せず、昭和六二年一月一六日に不成立となった。

10  以上のとおり、控訴人は、被控訴人を悪意で遺棄したものであり、また、両者間の婚姻生活には、婚姻を継続し難い重大な事由がある。

よって、被控訴人は、控訴人に対し、民法七七〇条一項二号、五号に基づき、離婚を求めるとともに、被控訴人の受けた精神的苦痛に対する慰謝料三〇〇万円を支払うことを求める。

二  本訴請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は、おおむね認める。

3  同3のうち、被控訴人の勤務先が浜銀ファイナンス株式会社であること、昭和六〇年六月一四日に被控訴人が満五五歳に達したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被控訴人が株式会社横浜銀行に勤務していたころの年収は、約一〇〇〇万円であり、浜銀ファイナンス株式会社に勤務してからの年収は、約五〇〇万円から六〇〇万円である。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実は争う。

6  同6のうち、控訴人が離婚届の用紙を取り出したこと、被控訴人が昭和六一年六月六日横浜家庭裁判所に離婚を求める調停の申立てをしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

7  同7のうち、控訴人が「同居別居」と書いた張り紙をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

8  同8のうち、控訴人が昭和六一年一二月三一日行く先を明らかにしないまま家を出たこと、その後も居住先を被控訴人に知らせなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。

控訴人が自己名義と太郎名義の債券を解約したのは、家を出た後のことであり、その金額は約一一〇〇万円である。

9  同9のうち、調停が昭和六二年一月一六日に不成立となったことは認めるが、その余の事実は否認する。

10  同10の主張は争う。

第四反訴についての当事者の主張

一  反訴請求原因

1  控訴人と被控訴人とは、昭和三〇年一一月七日に婚姻の届出をした夫婦であって、昭和四一年六月一五日に長男太郎が生まれた。

2  控訴人は、幼少のころから健康に恵まれず、主な病歴だけでも、中耳炎、腹膜炎、腎臓結核、肺結核を患い、その都度、大きな手術を受けるなどして、相当長期の入院をした。現在は、小康状態にあるが、肋膜が癒着し、肺臓が三分の二ぐらいにまで圧縮したままの状態で、折々結核の専門医を訪ねて検診を受けている。

ところで、控訴人と被控訴人とは、昭和二六年一〇月ころ、それぞれ肺結核の療養をしていた結核療養所榛名荘で知り合ったので、互いに相手の身体や健康状態をよく知っており、被控訴人は、控訴人が肺結核で五年を超える療養生活を送り、生来無理が利くような身体ではないことを十分知っていた。

3  被控訴人は、結婚してから一五年間は、その努力もあり、また、一時の入院を除いて健康状態が優れないということもなく、社会人として順調な生活を送ることができた。しかし、昭和四六年ころから、全身の倦怠感と足の痛みを訴え、町医者を転々とするようになった。これまでに、多発性筋炎、糖尿病、喘息などを患い、赴任先の名古屋から東京の虎の門病院にわざわざ通院し、横浜に居住してからも、同病院への入退院を繰り返している。

4  この間、控訴人は、被控訴人の看病に尽力したほか、大学主催の講座を聴講して食餌療法や治療法を学ぶなど、特別の努力をしてきた。ここ一五年間は、夫婦共々、被控訴人の病魔との闘いに明け暮れる生活であった。

5  婚姻を継続し難い重大な事由

(一) 控訴人は、竹村冨美子という女性から霊能力によって病気が治ると聞き及び、同女の強い勧誘もあって、昭和五八年七月ころから、竹居百合子という霊媒師(以下「竹居」という。)の霊視術に頼るようになった。

(二) 竹居の霊視術によると、被控訴人の病魔の原因は、同人に先祖の怨念が取り付いているからであり、これを取り除くためには、先祖の供養が必要であるということであった。控訴人は、これまでの病魔に対する自分の看病や現代医療が必ずしも有効ではなかったという実感から、竹居の言を直ちに否定せず、同女の巧妙な施術動作にひかれて、その霊視術にかけてみようという気になった。そして、被控訴人も、当初は霊視術など全く信用していなかったが、控訴人の勧めに応じて竹居の霊視術を受けることにした。

(三) 霊視術は、被控訴人が竹居方を訪問したり、あるいは竹居が被控訴人方に来訪して行い、その回数は、昭和五八年七月から昭和六一年四月までの間だけでも二四回に及んだ。

(四) 被控訴人は、精神的な安堵感もあってか、霊視術を受けるようになった直後は、喘息の病状が一時良くなったものの、昭和五八年一〇月一六日、竹居から、「あなたに私の寿命を二年分けてあげた。」と告げられると、「そうか、自分の命はそんなに短いのか。」と控訴人の前でつぶやいて落胆し、自暴自棄の様相を深め、パチンコに過度に興ずるようになった。そして、パチンコに通う回数が増えるに応じて、帰宅の時間も遅くなることが度々となり、多い時は一箇月三〇万円ぐらいをパチンコにつぎ込んだこともあり、一家の生計を逼迫させた。

(五) 被控訴人は、その後も霊視術を受けているが、自暴自棄もあって、健康状態が思わしくなく、生活態度も改まらなかった。一日二〇本ぐらい吸っていたたばこを喘息に良くないのでやめるよう控訴人が節制を求めても、被控訴人は、これを無視し続けたばかりか、控訴人に腹を立て、つかみ掛かろうとしたこともあった。

控訴人は、被控訴人の健康状態を常に気遣ってきたので、これまでの努力を水泡に帰せしめる被控訴人の生活態度は、正に自暴自棄としか写らず、やり切れない感情も禁じ得なくなり、被控訴人との離婚も考えるようになっていった。

(六) このような経緯で、昭和六一年三月ころから、夫婦間で離婚話が持ち上がるようになり、被控訴人も、離婚の際は財産を半分ずつとする考えを控訴人に示していた。そして、同年四月ころには、離婚届の用紙に双方が署名捺印をし、その用紙を控訴人が保管していたが、控訴人は、離婚をした後のことや財産の分け方などを考えて、直ちに離婚届を出すことをちゅうちょしていたところ、後記のように同年一二月三一日に家を出たので、そのとき右用紙を家に置いてきた。

(七) 昭和六一年四月になると、竹居は、夫婦としての信頼関係を破綻させるような虚偽の事実、例えば、控訴人が生来多情で過去に多数の男性と交渉があり、現在も早稲田之広という男性と不倫を働いているということを太郎らに吹聴した。

(八) 被控訴人は、竹居及びその秘書役である竹村冨美子の言や霊視術に関する虚言により、控訴人に強い不信感を抱いて、竹居の助言に盲従するようになり、昭和六一年五月一七日、詐言をろうして控訴人から銀行の貸金庫のかぎを受領し、これを用いて、控訴人が同金庫に預けていた一家の資産に関する一切の書類などを持ち出し、自分で保管するようになった。

(九) 事ここに至り、被控訴人は、控訴人の献身的な助力や助言を受け入れないどころか、ただ反目と敵対心を示すばかりで、夫婦間の婚姻関係は破綻した。

被控訴人は、控訴人との合意に基づき、昭和六一年六月六日、横浜家庭裁判所に夫婦関係調整(離婚)を求める調停を申し立てた。

右調停は、同年八月一日に第一回調停期日が開かれたが、その席上離婚するとしても控訴人には一銭も払う必要がないなどと被控訴人が強弁したことから、控訴人は、健全な夫婦の同居生活を期待するのはもはや無理であると判断した。そこで、控訴人は、翌二日、被控訴人に対し、やむを得ず「同居別居」の申入れをした。

(一〇) 被控訴人は、昭和六一年六月分の生活費を渡さず、同年七月分として渡した生活費は、ごく少額であった。そこで、控訴人は、「同居別居」の申入れをしたとき、極めて不十分ながら月額二万円の婚姻費用の分担を被控訴人に要求した。そして、婚姻費用の増額要求もままならぬ状況であったので、それまで控訴人名義の預金口座から引き落としていた光熱費等の家計費を、被控訴人名義の預金口座から引き落とすようにする変更の手続をとり、そのことを被控訴人に伝えたところ、被控訴人は、同年八月二三日、控訴人に暴行を加え、傷害を負わせた。

控訴人は、調停中であるにもかかわらず、被控訴人から暴行を受けたので、それまでの被控訴人の脅迫的な言辞を単に言葉限りのものとして受け取ることができず、家を出ることを考えるようになり、その希望を調停代理人である弁護士に何度となく申し出た。しかし、同弁護士から慰留され、やむを得ずこれを思いとどまっていたが、同年一二月三一日、被控訴人により繰り返される脅迫に耐えられず、ついに家を出た。

なお、前記調停は、昭和六二年一月一六日に不成立となった。

6  以上のとおり、控訴人及び被控訴人間の婚姻関係は、被控訴人の責めに帰すべき事由により完全に破綻しており、婚姻を継続し難い重大な事由がある。

よって、控訴人は、民法七七〇条一項五号に基づき、被控訴人との離婚を求める。

7  財産分与について

(一) 被控訴人の有する積極財産及びその評価額は、次のとおりである。

(1)  別紙物件目録(一)記載の建物(ただし、被控訴人の持分四八五分の三七九、控訴人の持分四八五分の一〇六)及びその敷地である同(二)記載の土地(ただし、被控訴人の持分一〇万分の三八五三、控訴人の持分一〇万分の一〇七七)

両名の持分の全部につき、九九五〇万二〇八〇円相当

(2)  群馬県前橋市二之宮町字宮東八一五番五

畑三〇七平方メートル 六〇〇万円相当

(3)  預金等

ア 定期預金 二〇四万〇二〇九円

イ 抵当証券 二〇〇万円

ウ 甲川太郎名義の預金 二六七万六〇〇〇円

右預金は、まる優の適用を受けるために太郎の名義を借用したものである。

エ 興銀リッキーワイド 七二八万一四一五円

オ 長銀リッチョーワイド 七七七万五一八九円

カ 商工中金リッショーワイド 二〇〇万円(昭和六一年購入時で年七分の利息の約定がある。)

(4)  株式(平成元年一一月一五日現在の取引所価格=終値)、社債

ア 東京電力株式会社の株式 二〇〇株 一一九万八〇〇〇円(一株五九九〇円)

イ 株式会社戸田建設の株式 一〇〇〇株・二二六万円(一株二二六〇円)ただし、被控訴人の主張によると、被控訴人が平成元年二月一五日に右株式を売却して一一二万〇三三〇円を取得。

ウ 株式会社横浜銀行の株式 二二五〇株 三七三万五〇〇〇円(一株一六六〇円) ただし、被控訴人の主張によると、被控訴人が昭和六二年二月一〇日に右株式を売却して三三四万六六〇七円を取得。なお、別居時(昭和六一年八月二日)に存した株式数は、一七〇〇株である。

エ 東京電力株式会社の社債 四〇〇口 ただし、満期償還により当事者間で既に等分に分配済み。

(5)  生命保険

ア 加入先日本生命保険相互会社の生命保険 九口

保険金額 八七〇万円 満期未到来

同 七〇万円 満期到来、加算配当金がある。

イ 加入先郵便局の生命保険 一口

保険金額 一〇〇万円 満期未到来

契約日 昭和四三年一〇月二二日

満期日 平成七年一〇月二九日

(6)  退職金等及び財形貯蓄

ア 退職金 一七五九万〇二七八円 (内金二〇〇万円が調整年金基金へ)

イ 調整年金 一九五万六二〇〇円 (平成二年七月以降の年額)

ウ 厚生年金 (金額は不明であるが、イの調整年金額をかなり上回る見込みである。)

エ 財形貯蓄 三八八万〇九〇八円

(二) 被控訴人の消極財産は、次のとおりである。

(1)  住宅購入資金融資分 一〇九四万九〇〇〇円

(2)  厚生資金融資分 一九五万四〇〇〇円 (ただし、この融資金で商工中金リッショーワイド二〇〇万円を購入した。)

(三) 控訴人が持ち出して換金したものは、次のとおりである。

(1)  興銀リッキーワイド 七二八万一四一五円

(2)  長銀リッチョーワイド 三四四万七六〇四円

四三万円

控訴人は、昭和六一年一二月三一日に家を出た際所持した債券を換金して、約一一〇〇万円を取得したが、平成元年八月現在の手持ちの残金は、約四〇〇万円である。控訴人が費やした金額は、三二か月間で約七〇〇万円であり、これを一箇月に換算すると、約二一万八〇〇〇円となるが、一人での生活を考えれば(借家費用、引っ越し代、毎月の家賃など、まとまった金員が出ている。)、ぜい沢に暮らしてきたわけではない。したがって、これまで控訴人が費やした金員は、被控訴人が分担すべき婚姻費用と見るべきであって、財産分与の対象たる財産に持ち戻すべきではない。

(四) 配偶者の法定相続分及び控訴人の婚姻生活における貢献度、年齢、健康状態、就労の可能性、被控訴人の生活状態、両名間の婚姻生活が破綻するに至った原因等を考慮すると、被控訴人の控訴人に対する財産分与は、財産の価額の二分の一に相当する金銭をもって相当とする。よって、控訴人は、被控訴人に対し、右金銭による一括分与を求める。

しかし、仮にそれが著しく困難と認められる場合には、控訴人は、被控訴人に対し、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「マンション」ともいう。)及びその敷地である同(二)記載の土地の共有持分については、控訴人の各持分と被控訴人のそれとが等しく二分の一ずつになるよう、マンションの区分所有権については、被控訴人の持分四八五分の三七九のうち四八五分の一三六・五(四八五〇分の一三六五)を、その敷地の共有持分については、被控訴人の持分一〇万分の三八五三のうち一〇万分の一三八八を、それぞれ控訴人に移転し、その旨の財産分与を原因とする各持分一部移転登記手続をすることを求め(なお、控訴人及び被控訴人のそれぞれの持分が等しくなった後のマンション等の利用ないし共有関係の処理については、両者間の協議にゆだねるのが適当である。)、それ以外の財産については、その価額の二分の一相当の金銭による一括分与を求める。

二  反訴請求原因に対する認否

原判決は既に確定しているから、控訴人が当審で提起した反訴は、不適法として却下されるべきである。また、仮に本件控訴が適法であるとしても、被控訴人は、控訴人の反訴提起に異議がある。そして、予備的に次のとおり答弁をする。

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、控訴人と被控訴人とが昭和二六年一〇月ころにそれぞれ肺結核の療養をしていた結核療養所榛名荘で知り合ったことは認めるが、その余の事実は争う。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は争う。

5  同5のうち、夫婦間の婚姻関係が破綻したこと、被控訴人が夫婦関係調整(離婚)を求める調停を申し立てたこと、右調停が不成立となったことは認めるが、その余の事実は争う。

(一) 被控訴人は、控訴人が「竹居の霊視術を受けなければ、今後一切あなたの面倒を見ない。」と言うので、やむを得ず霊視術を受けることとしたが、これを全く信用していなかった。

(二) 被控訴人は、昭和五九年七月ころに特別な収入があったので、一時的にパチンコをしたことがあるが、一箇月三〇万円もの失費をしたことはない。

(三) 離婚話は、控訴人が昭和五九年九月から一方的に持ち出してきたものであり、その背景には、次のような事情があった。

(1)  控訴人は、被控訴人が難病である多発性筋炎のほか、喘息、糖尿病にかかっており、将来に希望が持てなくなってきていた。また、病身である被控訴人に対して性的な不満があった。

(2)  昭和五九年までの被控訴人の給与は、年額一〇〇〇万円以上であったが、控訴人は、金銭に対する執着心が強く、被控訴人が昭和六〇年六月に定年を迎えると、それ以降の給与が半減してしまうことに幻滅を感じていた。

(3)  控訴人は、昭和五九年一一月ころ、同人の妹吉沢和子や親しい友人に対し、「素敵な人ができたので浮気をしたい。早く主人と別れたい。」と話したことがあった。また、昭和六〇年九月から一二月にかけて、被控訴人に対しても、「今月一杯で別れたい。家も借りることにした。離婚すれば面倒を見てくれる人がいる。」と言ったりした。このような言動から、控訴人は、何らかの幻想を抱いていたものと思われる。

(四) 控訴人は、被控訴人が昭和六一年八月二三日控訴人に対して一方的に暴行を加えたかのように主張するが、それは控訴人が計画的に企てた挑発行為に起因するものであり、被控訴人も控訴人の暴力のために同人を上回る傷害を受けた。

6  同6の主張は争う。

7  財産分与について

財産分与については、原審で全く審理の対象となっていない。したがって、これが当審で審理されるとすれば、被控訴人は、その意に反して第一審の審理を受けるべき訴訟上の権利を害され、当事者間の公平を欠くことになるから、控訴人が当審で財産分与の申立てをすることは許されない。以下、予備的に次のとおり答弁をする。

(一) 積極財産に関する事情は、次のとおりである。

(1)  両名が別紙物件目録(一)記載の建物及びその敷地である同(二)記載の土地の持分を有すること並びにその各持分の割合は、控訴人主張のとおりである。

右マンション及びその敷地は、その財産取得の時から被控訴人及び控訴人のそれぞれの持分が定められており、婚姻中自己の名で得た各自の特有財産であるから、財産分与の対象となるものではない。

(2)  群馬県前橋市二之宮町字宮東八一五番五

畑三〇七平方メートル

(3)  預金等

ア 定期預金 二〇四万〇二〇九円

右預金は、後記オの長銀リッチョーワイドを解約して受領した金員のうち二〇〇万円を預け入れたものであるが、更に次のように解約した。

内金一〇〇万円の定期預金については、昭和六三年一二月一九日に中途解約をして、一〇一万四二〇九円を受領した。

内金一〇〇万円の定期預金については、平成元年二月一四日に満期となり、一〇二万六〇〇〇円を受領した。

イ 抵当証券 二〇〇万円

右証券は、後記オの長銀リッチョーワイドを解約して受領した金員のうち二〇〇万円で購入した。

ウ 甲川太郎名義の預金二六七万六〇〇〇円

右預金は、預け入れた時点で太郎に贈与したものであるから、財産分与の対象となるものではない。

エ 興銀リッキーワイド 七二八万一四一五円

右債券は、太郎名義の三九九万二一〇〇円を含め、その全額を控訴人が解約して受領した。

オ 長銀リッチョーワイド 七九九万六六三二円

右債券のうち、三九一万七一八九円は控訴人が解約して受領し、四〇七万九四四三円は被控訴人が解約して受領した。そして、被控訴人が受領した金員のうち、二〇〇万円を前記アの定期預金に預け入れ、二〇〇万円で前記イの抵当証券を購入した。

(4)  株式、社債

ア 東京電力株式会社の株式 二〇〇株

イ 株式会社戸田建設の株式 一〇〇〇株

被控訴人は、平成元年二月一五日に右株式を売却して一一二万〇三三〇円を取得した。

ウ 株式会社横浜銀行の株式 二二五〇株

被控訴人は、昭和六二年二月一〇日に右株式を売却して三三四万六六〇七円を取得した。

エ 東京電力株式会社の社債 四〇〇口

控訴人が右社債を売却したが、その売得金が四〇万円であったと言うので、被控訴人が二〇万円を受領し、控訴人が残額を受領した。

(5)  生命保険

ア 加入先日本生命保険相互会社の生命保険 九口

保険金額 八七〇万円

そのうち、満期の到来した被控訴人名義の一口二〇万円及び太郎名義の一口五〇万円について、被控訴人が保険金を受領した。その他の口は、満期未到来である。なお、被保険者が太郎名義のもの二口、保険金額合計二〇〇万円については、契約者及び保険金受取人が控訴人となっている。

イ 加入先郵便局の生命保険 一口

保険金額 一〇〇万円 満期未到来

(6)  退職及び財形貯蓄

ア 退職金

前記(1) のマンションの区分所有権及びその敷地の共有持分を購入した資金の借入金担保となっており、その支払後の残額は不明である。

イ 財形貯蓄 三八八万〇九〇八円

被控訴人は、昭和六二年二月一九日に右預金を解約して三八八万〇九〇八円を受領した。

(二) 被控訴人の消極財産は、次のとおりである。

(1)  住宅購入資金融資分 一〇九五万四〇〇〇円(平成元年三月三一日現在の残高)

(2)  厚生資金融資分 一九七万一〇〇〇円(平成元年三月三一日現在の残高)

(三) 控訴人が持ち出して換金したものは、次のとおりである。

(1)  興銀リッキーワイド 七二八万一四一五円

(2)  長銀リッチョーワイド 三九一万七一八九円

控訴人は、被控訴人との同居中から家事を放棄して、婚姻生活に対する何らの寄与もせず、しかも一方的に病身の被控訴人を放置して家を出た上、働く能力がありながら漫然と徒食して、いたずらに持ち出し財産を換金して費消したのであるから、その出費を被控訴人が婚姻費用として分担すべきいわれはない。したがって、控訴人が持ち出して換金したものについては、夫婦間の共有財産として取り扱うか(ただし、その共有割合は別問題である。)、あるいは被控訴人の生活費分として財産分与の対象となる財産から控除すべきである。

(四) 請求原因7(四)の主張は争う。

第五証拠〈省略〉

理由

一  まず本件控訴の適否について判断する。

本件訴訟記録によれば、原審において、被控訴人は、昭和六二年八月一七日、控訴人の住居所その他送達をなすべき場所が不明であるとして、控訴人に対する裁判書類の送達について公示送達の申立てをしたこと、同月二一日、原審裁判所が右申立てを許可して、公示送達の方法により、本件訴状の副本、期日呼出状等が控訴人に送達され、控訴人不出頭のままで審理がなされた結果、同年一二月二三日、原判決の言渡しがなされたこと、その判決の正本の送達も、同月二四日、公示送達の方法によってなされ、翌二五日、送達の効力を生じたものであるところ、控訴人は、その控訴期間経過後である昭和六三年二月一〇日に至り、本件控訴を提起したこと、被控訴人は、右公示送達の申立てをするに当たり、昭和六二年七月二一日、横浜市神奈川区長から控訴人の住民票の写しの交付を受けたが、控訴人の住所の記載が被控訴人と同じ住所のままであって、「異動」の記載がなかったこと、被控訴人は、右のほかに、同年六月下旬から七月下旬にかけて、控訴人の妹、姪、知人、被控訴人の姉ら及び控訴人が日ごろ礼拝に通っていた教会に控訴人の住所を照会したが、いずれも住所不明という郵便はがきによる回答があったので、右住民票の写し及び郵便はがきによる回答六通を証明資料として添付した上、原審裁判所に公示送達の申立てをしたことが明らかである。

しかしながら、他方、〈証拠〉によれば、被控訴人は、本件訴訟を提起するに先立ち、昭和六一年六月六日、横浜家庭裁判所に控訴人との離婚を求める調停の申立てをしたが、右調停係属中の同年八月二三日、控訴人に対し、後記認定のとおりの暴行を加えて傷害を負わせ、その後も脅迫的な言動に及んだので、控訴人は、被控訴人の仕打ちに堪えられず、同年一二月三一日、家を出たこと、右調停は、昭和六三年一月一六日に不成立となって終了したこと、控訴人は、被控訴人が控訴人に対して公示送達の申立てをしてまで離婚訴訟を提起するであろうことを全く予想しなかったし、被控訴人から再び暴行脅迫を受けることを恐れたので、その居場所を被控訴人に知らせなかったこと、控訴人は、昭和六二年七月二四日、住民登録をしてある横浜市神奈川区役所で転出の届出をした際、被控訴人に転出先を知られないようにするため、住民票に「不現住につき住民票職権消除」と記載してもらったが、同月二八日、転出先の東京都品川区に転入の届出をしたので、その後間もなく被控訴人を筆頭者とする控訴人の戸籍の附票にその記載がされたこと、控訴人は、その当時自己の居場所を兄高木宏ほか若干の者には知らせていたし、調停代理人であった小林俊行弁護士らとも連絡を取っていたので、これらの者に照会すれば、容易に控訴人の所在を知ることができる状況にあったこと、被控訴人は、同年一〇月一〇日、群馬県高崎市内のホテルで行われた控訴人の妹吉沢和子の長男誠人の結婚式に出席し、控訴人の兄高木宏、高木淳と一緒になったが、当時は既に本件訴訟が第一審に係属していたにもかかわらず、右両名に対し、控訴人の居場所を問いたださなかったし、離婚訴訟が係属していることを知らせなかったこと、控訴人は、家を出る際に自己の署名捺印のある離婚届を置いてきたので、昭和六二年一月二六日、当時の本籍地の群馬県桐生市長あてに離婚届不受理の申立てをしていたところ、昭和六三年二月五日、桐生市役所の戸籍係から、原判決が同年一月九日に確定したことを理由とする離婚の届出が既に受理されて戸籍に登載されている旨を聞き、翌六日、横浜地方裁判所に赴き、原判決の正本の交付を受けて、原判決言渡しの事実とその内容を知り、同年二月一〇日、本件控訴を提起したことが認められる。

右の事実によれば、原審においてなされた各公示送達は、被控訴人の申立てによる原審裁判所の許可に基づいたものであるが、このような申立てがされたことについての直接の原因は、控訴人が昭和六一年一二月三一日に家を出た後、その居場所を被控訴人に知らせなかったことにあったということができる。しかし、控訴人がこのように身を隠したのは、被控訴人が離婚訴訟を提起するであろうことを予想せず、被控訴人から再び暴行脅迫を受けることを恐れたためであって、右認定の事情のもとにおいては、その行動は、やむを得なかったものというべきである。そして、控訴人が、遅ればせながら昭和六二年七月二四日に転出の届出をしたうえ、同月二八日には転出先に転入の届出をしたので、その後間もなく控訴人の戸籍の附票にその記載がされたのであるから、被控訴人が公示送達の申立てをする少し前に戸籍の附票を見れば、当時の控訴人の住所を知り得たことが明らかである。ところが、被控訴人は、戸籍の附票を見ていないし、控訴人の住所を知っていた控訴人の兄高木宏や控訴人の調停代理人であった小林俊行弁護士らに対しても何らの照会もせず、しかも、本件訴訟が第一審に係属していた時期に控訴人の兄高木宏、高木淳に会ったにもかかわらず、その際、右両名に対し、控訴人の居場所を問いただすことも、離婚訴訟の係属を知らせることもしなかったのであって、これらの点からすると、公示送達の前後を通じて被控訴人による控訴人の住居所についての調査は、極めて不十分なものであったといわざるを得ない。

以上の検討の結果を総合すると、控訴人は、その責めに帰することのできない事由によって控訴期間を遵守することができなかったというべきであるから、その追完が許されるものであるところ、前認定のように、控訴人は、原判決の公示送達の事実を知った後一週間内に控訴の提起をしたから、右控訴の提起は適法であると解すべきである。

二  そこで、本案のうち、被控訴人及び控訴人の各離婚請求の当否並びに被控訴人の慰謝料請求について判断する。

被控訴人は、原判決が既に確定していることを理由として、控訴人が当審で提起した反訴を不適法として却下すべきである旨主張するとともに、右反訴が控訴審において提起されたところから、これに対して異議を述べた。

しかしながら、本件控訴の提起が適法であることは前記のとおりであるから、原判決が確定したものということはできず、また、控訴人の反訴が控訴審においても被控訴人の同意の有無にかかわらず許されることは、人事訴訟手続法八条の定めるところにより明らかであるから、被控訴人の右主張は、採用することができず、反訴は適法である。

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

1  被控訴人(昭和五年六月一四日生)と控訴人(昭和六年七月二四日生)とは、昭和二六年一〇月ころ、それぞれ肺結核の療養をしていた結核療養所榛名荘で知り合い、昭和三〇年一〇月三〇日に結婚式を挙げ、同年一一月七日に婚姻の届出を了し、昭和四一年六月一五日、長男太郎が生まれた。

2  被控訴人は、結婚前に結核を患ったことのほかに、昭和四六年三月ころ、痛風に罹患して治療を受けていたが、その後多発性筋炎を発症し、手足の筋肉に激痛を感ずるために一時歩行が困難となり、昭和四七年一二月から昭和四八年三月までの間及び昭和五三年七月から同年一一月までの間の二回にわたり入院した。被控訴人は、更に糖尿病と気管支喘息が併発したため、食餌療法を続けながら通院治療を受けてきたが、昭和六三年三月二二日から人工肛門を造設した。

3  他方、控訴人も、幼少のころから健康に恵まれず、肺結核等を患って結婚前に長期の入院を経験したことなどから、余り無理が利かない身体であるが、結婚後は大病を患うことがなく推移していた。

4  被控訴人は、結婚前から株式会社横浜銀行に勤務し、名古屋支店等の勤務を経てこれを続けていたが、昭和六〇年六月一四日に満五五歳に達したため、社内規定によって収入が半減し、その後浜銀ファイナンス株式会社に出向している。しかし、平成元年四月二二日から病気休職中であり、平成二年六月三〇日をもって定年退職することが予定されている。

5  被控訴人と控訴人との夫婦仲は、結婚以来、これといったトラブルもなく平穏に経過してきたが、昭和五八年七月下旬、控訴人の勧めに応じて被控訴人が竹居の霊視術を受けるようになってから、被控訴人の生活態度が以前に比べて不節制となり、その病状が思わしくないのに、控訴人の注意を無視してパチンコに熱中したり、喫煙をやめなかったりしたため、控訴人は、被控訴人に愛想がつき、昭和六〇年九月ころから被控訴人と離婚したいと言うようになり、しだいに夫婦間の愛情・信頼関係が薄れて行った。そして、昭和六一年三月下旬には、長男太郎を交えて、夫婦間で離婚について話し合ったりした。

6  昭和六一年五月一七日になって、被控訴人は、控訴人から受領したかぎで銀行の貸金庫を開け、控訴人が同金庫内に収納していた一家の資産に関する書類を持ち出し、自分で保管するようになった。そのため、控訴人は、被控訴人に対する不信の念を深め、ついに被控訴人との離婚を決意するに至り、同月二四日、あらかじめ準備をしていた離婚届の用紙を取り出し、右用紙に被控訴人の署名捺印を求めた。これに対して、被控訴人は、これまでの経過から離婚するのもやむを得ないと思っていたので、離婚に同意し、右用紙に署名捺印をして控訴人に渡した。その後、被控訴人は、控訴人との合意に基づき、同年六月六日、横浜家庭裁判所に夫婦関係調整(離婚)を求める調停の申立てをした。

7  右調停は、同年八月一日、九月一九日、一一月一七日及び昭和六二年一月一六日の四回にわたり、離婚を前提として話し合われたが、財産分与についての合意が得られず、右一月一六日の第四回調停期日に不成立となって終了した。

8  ところで、右調停が係属中の昭和六一年八月二日、控訴人は、自宅の洗面所の鏡に、「何もかも私への憎悪に懲り固まってるご様子ですので、今日より同居別居といたしましょう、八月二日花子」と書いた張り紙をして、以後、被控訴人及び太郎に対して食事の支度を一切しなくなった。そのため、同じ家の中で、被控訴人は、会社勤務の傍ら、太郎と協力して食事の支度をし、控訴人は、自分の部屋に閉じこもり、食事の際には、部屋を出て、自分の分だけ料理をして食事をするという生活が始まった。

9  このようなことがあって、被控訴人と控訴人との夫婦仲は、ますます険悪となったところ、被控訴人は、これまで控訴人名義の預金口座から引き落としていた光熱費等の家計費を控訴人が無断で被控訴人名義の預金口座から引き落とすようにする変更の手続をとったことに腹を立て、同年八月二三日、控訴人に対し、頭髪を引っ張り、頭部、顔面を殴打する暴行を加え、顔面打撲症等の傷害を負わせた。また、被控訴人も、その際、控訴人の抵抗により、頚部・両前腕・両下腿擦過傷等の傷害を負った。なお、被控訴人が控訴人に対して暴力行為に及んだのは、結婚以来このときが初めてであった。

10  その後も、被控訴人は、時に口汚く控訴人を罵り、暴言を吐いて怒鳴る一方、控訴人は、ひそかにこれを録音テープに収録していたところ、控訴人は、同年一二月三〇日の夜、被控訴人から「出て行け。」などと怒鳴られて、つかみ掛かられそうになり、その場は辛うじて太郎が被控訴人を取り押さえたものの、その恐ろしさから、これ以上家にいては危険であると感じ、翌三一日、調停代理人である小林俊行弁護士と電話で相談した上、被控訴人及び太郎の留守中、その行く先を知らせないで家を出た。それ以来、控訴人は、家に戻らず、完全な別居生活の状態が続いている。〈証拠判断略〉

以上に認定した事実によれば、被控訴人及び控訴人は、被控訴人が控訴人との合意に基づいて夫婦関係調整(離婚)を求める調停の申立てをする前から、両者間で離婚することを合意し、その後においても離婚の意思は少しも変わらず、相互に婚姻を継続し難い重大な事由があることを理由として本訴及び反訴を提起して離婚を求めており、これらの経過と婚姻生活の実態からすると、両者間の婚姻関係が完全に破綻していることは明らかであるから、民法七七〇条一項五号に基づく被控訴人及び控訴人の各離婚請求は、いずれも理由がある。しかし、右認定の経過によれば、控訴人が家を出て被控訴人と別居したことを非難することはできないから、これを悪意の遺棄と認めることはできず、同条一項二号に基づく被控訴人の離婚請求は理由がない。

また、被控訴人の慰謝料請求については、被控訴人本人は、原審における本人尋問において、その主張のように控訴人が被控訴人を侮辱した旨供述するが、右供述は、当審における控訴人本人の供述に照らして採用することができないし、他に右請求を肯認すべき事由を認めるに足りる証拠はないから、被控訴人の慰謝料請求は理由がない。

三  次に控訴人の財産分与の申立てについて判断する。

1  まず、被控訴人は、被控訴人の審級の利益が害されることを理由として、控訴人が当審で財産分与の申立てをすることは許されない旨主張する。

しかしながら、人事訴訟手続法一五条一項が離婚訴訟に附帯して財産分与の申立てをすることができる旨定めているのは、財産分与において参酌されるべき事由及びこれに関する証拠関係は、離婚の訴訟において請求の基礎をなす事実関係及びこれに関する証拠資料と密接に関連するから、離婚訴訟の手続内において、財産分与についても同時に解決するのが当事者にとって便宜であり、かつ、手続の経済にも合致するとの見地によるものである。その趣旨に徴すれば、財産分与についても、同法八条に定める訴えの変更の場合に準じて、控訴審においても、相手方の同意を要しないで、その申立てをすることができるものと解するのが相当である。したがって、控訴人は、当審において、財産分与の申立てをすることができるものというべきである。

2  そこで、財産分与の額及び方法について検討する。

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被控訴人及び控訴人の婚姻後における財産関係は、次のとおりである。

(1)  別紙物件目録(一)記載の建物(ただし、被控訴人の持分四八五分の三七九、控訴人の持分四八五分の一〇六)及びその敷地である同(二)記載の土地(ただし、被控訴人の持分一〇万分の三八五三、控訴人の持分一〇万分の一〇七七)

右マンションの区分所有権及びその敷地の共有持分は、被控訴人が昭和五七年二月二四日に代金四八五〇万円で購入し、税金のことを考えて、それぞれの持分を形式的に定めたものである。その時価については、八七三八万八〇〇〇円という評価と九九五〇万二〇八〇円という評価がある。右マンションは、被控訴人及び長男太郎が居住使用しており、今後もその予定である。

(2)  群馬県前橋市二之宮町字宮東八一五番五

畑三〇七平方メートル

右土地については、昭和四三年五月二八日売買(条件 農地法第五条の許可)を原因として被控訴人を権利者とする条件付所有権移転仮登記がされている。その時価については、六〇〇万円という評価もあるが、本登記のために農地法五条の許可を受ける手続を残しており、市街化調整区域の土地であることから、控訴人は、平成元年四月二七日付け準備書面(第五回)において、その時価を右評価額の半分ぐらいではないかと推認している。

(3)  預金等

ア 定期預金 二〇四万〇二〇九円

右預金は、被控訴人が後記オの長銀リッチョーワイドを解約して受領した金員のうち二〇〇万円を預け入れたものであるが、更に次のように解約して、被控訴人が金員を受領した。

内金一〇〇万円の定期預金については、昭和六三年一二月一九日に中途解約をして、一〇一万四二〇九円を受領した。

内金一〇〇万円の定期預金については、平成二年二月一四日に満期となり、一〇二万六〇〇〇円を受領した。

イ 抵当証券 二〇〇万円

右証券は、被控訴人が後記オの長銀リッチョーワイドを解約して受領した金員のうち二〇〇万円で購入した。

ウ 甲川太郎名義の定期預金 二六七万六〇〇〇円

エ 興銀リッキーワイド 七二八万一四一五円

右債券は、太郎名義の三九九万二一〇〇円を含め、その全額を控訴人が昭和六二年一月三一日に解約して受領した。

オ 長銀リッチョーワイド 七九九万六六三二円

右債券のうち、三九一万七一八九円は、控訴人が解約して受領(内金三四四万七六〇四円は昭和六二年二月三日に受領し、残金四六万九五八五円はその後に受領した。)し、四〇七万九四四三円は、被控訴人が昭和六二年二月六日に解約して受領した。そして、被控訴人は、右受領した金員のうち、二〇〇万円を前記アの定期預金に預け入れ、二〇〇万円で前記イの抵当証券を購入した。

カ 商工中金リッショーワイド 二〇〇万円

(4)  株式(平成元年一一月一五日現在の取引所価格=終値)、社債

ア 東京電力株式会社の株式 二〇〇株

一一九万八〇〇〇円(一株五九九〇円)

イ 株式会社戸田建設の株式 一〇〇〇株

二二六万円(一株二二六〇円)

ただし、右株式は、被控訴人が平成元年二月一五日に売却して一一二万〇三三〇円を取得した。

ウ 株式会社横浜銀行の株式 二二五〇株

三七三万五〇〇〇円(一株一六六〇円)

ただし、右株式は、被控訴人が昭和六二年二月一〇日に売却して三三四万六六〇七円を取得した。なお、控訴人が「同居別居」をした昭和六一年八月二日に存した株式数は、一七〇〇株である。

エ 東京電力株式会社の社債 四〇〇口 四〇万円

ただし、満期償還により当事者間で既に等分に分配した。

(5)  生命保険

ア 日本生命保険相互会社に加入の生命保険 九口

保険金額 八七〇万円

ただし、これらの保険を仮に昭和六三年九月三〇日に解約したとすれば、その受領金額は四六一万八四一〇円となる。なお、満期の到来した被控訴人名義の一口二〇万円及び太郎名義の一口五〇万円について、被控訴人が保険金を受領した。その他の口は、満期未到来であるが、被保険者が太郎名義のもの二口、保険金額合計二〇〇万円については、契約者及び保険金受取人が控訴人となっている。

イ 郵便局に加入の生命保険 一口

保険金額 一〇〇万円 満期未到来

契約日 昭和四三年一〇月二二日

満期日 平成七年一〇月二九日

(6)  退職金等及び財形貯蓄

ア 退職金 一七五九万〇二七八円(内金二〇〇万円が調整年金基金に組入れ)

被控訴人は、平成二年六月三〇日に株式会社横浜銀行を退職して、右退職金を受領することが予定されている。

イ 調整年金 一九五万六二〇〇円(平成二年七月以降の年額)

ウ 厚生年金 (金額不明)

エ 財形貯蓄 三八八万〇九〇八円

右預金は、被控訴人が昭和六二年二月一九日に解約して受領した。なお、控訴人が「同居別居」をした昭和六一年八月二日に存した預金残高は、三一四万三七八八円である。

(7)  住宅購入資金融資分(借入金)

一〇九四万九〇〇〇円(平成元年八月三一日現在の残高)

(8)  厚生資金融資分(借入金)

一九五万四〇〇〇円(平成元年八月三一日現在の残高。なお、この融資金で商工中金リッショーワイド二〇〇万円を購入した。)

なお、右(7) 及び(8) の各借入金は、被控訴人が株式会社横浜銀行を退職する前に弁済することになっている。

(二)  被控訴人は、昭和二四年六月一日から株式会社横浜銀行に勤務し、その収入によって一家の生計を維持し、かつ、前認定のように財産を形成してきたが、平成二年六月三〇日に同銀行を定年退職することになっており、その健康状態からすると、再就職することは著しく困難であると予想される。しかし、なお相当の資産を有しており、退職後は年金が支給されることになるので、老後の生活について一応経済上の不安はない。他方、控訴人は、昭和六一年五月に一〇日ほどパートで勤務したことがあるだけで、結婚以来、専ら家庭の主婦として家事に従事し、病身の被控訴人の看病に努めてきた。控訴人の年齢、健康状態からすると、離婚後に就職することはかなり困難であって、生計を維持できる収入の道がなく、資産も有しない。控訴人は、昭和六一年一二月三一日に家を出てから、住居所を何度か変えたが、昭和六三年一〇月から現在の住居に落ち着き、月額七万円の家賃を支払っている。その間、被控訴人から生活費の支給は一切無く、家を出た際に持ち出した興銀リッキーワイド及び長銀リッチョーワイドの各債券を前認定のように換金して(その金額合計は、一一一九万八六〇四円である。)、生活費に充ててきた。今後の生活の維持については、多大の不安がある。

前項及び本項において認定した事実、すなわち、被控訴人及び控訴人の年齢、健康状態、生活能力、婚姻生活の期間及びそれが破綻するに至るまでの経過、収入、資産及び負債の内容、資産取得についての寄与、別居後における各自の資産の処分状況、今後の生活の見通し、その他本件に現れた一切の事情に、控訴人の財産分与に関する主張をも勘案して検討すると、本件離婚に伴う財産分与として、被控訴人に対し、別紙物件目録(一)記載の建物の区分所有権及びその敷地である同(二)記載の土地の共有持分の各割合が、被控訴人六割、控訴人四割となるよう、右マンションについては、被控訴人の持分四八五分の三七九のうち四八五分の八八を、その敷地については、被控訴人の持分一〇万分の三八五三のうち一〇万分の八九五を、それぞれ控訴人に分与し、かつ、右マンション及びその敷地について、右財産分与を原因とするその旨の持分一部移転登記手続をすること、並びに、現金八〇〇万円及びこれに対するこの判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を控訴人に支払うことを命ずるのが相当である。

四  よって、被控訴人の本訴請求のうち、慰謝料の請求は理由がないから、原判決主文第二項を取り消し、被控訴人の控訴人に対する慰謝料に関する請求を棄却し、離婚の請求は理由があるから、本件控訴中これに関する部分を棄却し、控訴人の離婚を求める反訴は理由があるから認容し、財産分与の申立てについては、前項記載のように財産分与を命ずることとし、訴訟費用の負担について、民訴法九六条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橘勝治 裁判官 安達敬 裁判官 鈴木敏之は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 橘勝治)

別紙〈省略〉

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